春の雪(宝塚月組):若さゆえ?!

スカイステージの予告で、明日海りおさんと咲妃みゆさんの姿の大正ロマン的な雰囲気に惹かれ、録画した「春の雪」(2012年宝塚月組公演)、ようやく観ることができました。
(※ネタバレ含みます。)

原作は、あの三島由紀夫。
宝塚版は、流れのままいけば順風満帆に進んだはずの青く初々しい恋愛が、若さゆえのボタンのかけ違いから、悲劇に転じていく様を描いた作品だと感じました。
結ばれるお膳立ては整っていたはずの松枝清顕と綾倉聡子の関係が、清顕のいらぬ見栄や勘繰りをきっかけに拗れ、ようやく二人の思いが燃え上がった時期と前後して、聡子は宮家の男性と婚約し、事態は破滅へと繋がっていく。

それだけに、「何故そうなる!?」と突っ込みたい瞬間も多いのですが、その愚かさこそが人間らしさであり、若さかもしれないなと。さらに言えば、この作品は、未熟さ、愚直なまでの純粋さ、底知れぬエネルギーを抱える若者という生き物を、ある意味、究極の形で描いているのかもしれません。機会があれば、原作も読んでみようかな。

そんな中、最終的には心身を病み、命を落とす清顕も哀れですが、彼との間に身ごもった子供を産むことも許されず、出家の道を選ぶ聡子はさらに救いがないように感じられて。勿論、婚約者がありながら、ほかの男性と関係をもつなど言語道断ではありますが(家柄や時代性を考えれば尚のこと)、彼女がまだうら若いことを考えると、自業自得とは思いつつ、同情心が湧いてしまいました。

そして、自ら結婚のチャンスを逃しながらも、最期まで彼女を求め続けるというある意味身勝手な人物像に、「若さゆえ」という部分を見出せたのは、配役の妙といえるのかもしれません。明日海りおさんの清顕は、気品と精悍さ、清潔感に溢れていて、青いからこそ魅力的な青年像を見事に表現しきっていると思いました。

また、咲妃みゆさんの聡子は、可愛さを前面に出した伯爵令嬢のステレオタイプの役作りではなく、地に足のついた凛とした佇まいと落ち着きがあり、研2とは思えない風格を感じました。

以上、大正ロマンの世界を久々に堪能させていただきました。

大江山花伝:平みちさんと大空祐飛さんの茨木童子と”人でなし”。

1986年に宝塚の雪組(+1988年の地方公演※現全国ツアー)、2009年に同じく宙組で、それぞれ上演された「大江山花伝」。
私にとって、とても懐かしく大好きな作品です。

原作は木原敏江さんのコミック。私は残念ながら未読ですが、舞台では、大江山に住む鬼・酒呑童子と人間の母との間に生まれた茨木童子の苦悩を軸に、幼い頃に将来を誓い合った藤子、鬼退治を命じられながらも、徐々に茨木に親しみを覚えだす渡辺綱などとの人間模様が描かれています。

雪組版の茨木童子役は、平みちさん。
ライトブラウンのロング鬘がとにかくお似合いで、はっとする程の美しさと独特のオーラがありました。鬼の頭である酒呑童子の息子たる華やかさ、不器用さの中に垣間見える孤独を、その存在感で表現し、観る者を魅了するような茨木であったように思います。

実は私、雪組版でこの作品と出会ったので、「茨木といえば平さん」というイメージだったのですが、先日、スカイステージで宙組版を観て、全く個性の異なる大空祐飛(現ゆうひ)さんの茨木童子にも非常に納得させられました。大空さんの茨木は、より人間らしい印象。彼が背負う影や、苦しみが演技や表情に色濃く表れていて、感情の機微が伝わってくる茨木だと感じました。

そして、私がこの作品の中で一番好きな曲は、“人でなし”。ある意味、究極なタイトル!
己に宿った「鬼」の一面に苦しみ、苦悩を抱く前の「昔」を追憶し続ける茨木の心象風景を歌った曲です。「人でなしの明け暮れに」という救いのない歌いだしと、締めの「飽きもせず見つめる ひとときのまどろみのために」という歌詞に漂う諦めが、作曲家の寺田瀧雄さんの透明感のある旋律に乗せて歌われると、たまらない気持ちになります。短い曲の中に、彼にとっての「夢の昔」の繊細な輝きと、二度と戻れない過去を見つめ続けるしかないもの悲しさが感じられるんですよね。

しかし、「鬼」は人間の中にこそ宿るものである。そんな我々人間に対する問いかけが含まれているところに、この作品のテーマの深さを感じます。